夫婦生活で心がけること

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夫姉愛には、消極的な面とでもいうべきものと、積極的な面とでもいうべきものとの、二つの面があります。
消極的といっても、けっして重要でないという意味ではなく、むしろ、この面が欠けるかぎり祇極的な面も生きてこない、というほど重要なものであることを忘れてはなりません。
消極的な面というのは、夫姉であることによって人間としての夫婦でない要素までが失われてしまうのではない、という事実に関するものをさしています。
つまり、夫も妻も、たんに夫であるだけ、妻であるだけでなく、同時に、社会における自由な人格をもった個人でもある、という点を忘れないようにすることが、夫婦愛における消極的な面ということになるわけです。
一個の現代人としてみたばあい、この面がむしろ積極的な面となっていることはいうまでもありませんが、夫婦としてみたぱあい、それは消極面であるとみるのが正しいでしょう。
しかし、夫婦からみて、いかに消極面であろうと、この事実が夫婦愛にとって根本的な重要性をもっていることは、いまもいったとおりです。
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夫姉愛について考えるひとの多くが、この消極面を無視するか、否定しようとするかしていることによって、夫婦愛をゆがんだ、狭量なものにしてしまっていることが、とくに夫婦愛におけるこの面の強調を必要としているのだ、といわなければなりません。
夫婦愛のこの面を、別のことばでいえば、夫も妻も、相手を自由な人格として尊重し合い、その人格を互いにおかすことのないように心がける必要がある、ということです。
夫婦であることによって、自由な人格が無視されるようなことがあると、それは夫姉という枠の外でみずからの生存をはかろうとつとめることになります。
夫も妻も、たんに夫であり妻であるだけでないかぎり、このことは必然的におこることです。

新婚生活の中の夫婦愛

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期待と不安の入りまじった気持ですごした結婚前の時期も、いまや過去のものとなり、夢中ですごした結婚式前後のあわただしさも、いまではどうやら思い出のなかにすぎ去り、いよいよ何もかも新しい生活に対処すべきときがきたようです。
新婚生活の夢のような幾日かは、お互いに新鮮な気持が持続されていて、まず問題は起こらないと考えていいでしょう。
新婚の、あまい気分が、一カ月あるいは数カ月後に、次第に生活の現実のなかに消えさるころから、これからさき、一生をすごすことになる真の結婚生活が始められることになります。
しかし、結婚とはいかなるものかについて、すでに十分知っている読者にとって、これから先の結婚生活にどのように対処すべきかは、あるいはそれほど困難なことではないかもしれません。
本章では、その前提にたって、なお結婚生活をつづけてゆくために必要な、いくつかの事柄について考えてみるつもりです。
すでにくりかえしふれてきたように、今日、結婚は愛情によるものでなければならない、という考えが一般的となっていますが、この結婚における愛情について、まずみてゆくことにしましょう。
結婚における愛情が、恋愛における愛情とちがうものであることは、ここでくりかえす必要はありますまい。
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結婚における愛情は、夫婦愛という名でよぶのがふさわしく、この夫婦愛について正しく知ることこそ、結婚生活をより幸福なものとする根本条件である、と考えなければなりません。

婚姻屈と婚姻の成立

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結婚式を神前であげようと、披露をいかに豪著にしようと、また新婚旅行もすまし、初夜も無事にすんだとしても、婚姻届出がすまなければ、法律は婚姻が成立したとは認めません。
新式結婚式のなかには、婚姻届に署名捺印することをもって式にかえる例があるとまえに書きましたが、そのとき、それだけで婚姻が成立するわけではないといったのは、婚姻届が届出られて受理される過程がそこには欠けていたからにほかなりません。
婚姻粗出さえ受理されれば、いっさいの結婚儀式がおこなわれずとも、法的にはりつばに婚姻が成立するものであることも知っておいていいでしょう。
婚姻埴用紙は、市区町村役場ならどこででももらえます。記載事項は本書付録のヒナ形でみられるとおりですが、ここではそのうち二つの点にふれたいとおもいます。
届には、成人二人の署名捺印がなければなりません。成人であれば、既婚者であろうと未婚者であろうと、だれでもかまいません。
もうひとつ、戸籍法によって、夫と妻はどちらかの姓を同じくしなければならないことなっており、蛎姻届には、それをどちらにするか明記する必要があります。
夫の姓にするか、妻の姓にするかは自由であることを知っておくのがよいでしょう。
届出人の署名は、本人がそれぞれ自筆でしなければならず、届書は、夫または妻の本籍地で届け出るときは二通、夫と妻の本籍地以外で届け出るときは三通提川しなければなりません。
なお、届書を提出したところか夫(妻)の本締地でないばあいは、夫(妻)の戸籍勝本または抄本を一しよにつけることになっています。
婚姻届出があっても、それが婚姻するものの意志を無視しておこなわれたぱあい、婚姻は成立しないことになります。
これを婚姻の無効といいますが、このばあい婚姻が無効となるのは当然であるといえましょう。
また、前述した結婚不適格者として法に定められたものの婚姻届出は、当然、受理されないことになっており、もしまちがって受理されたばあいは取消されることになっていることもつけ加えておきましょう。
もし、ここで→出会った相性が合う人と結婚しても仲が悪くなったらここを思い出してください。
結婚式もあげ、事実上結婚生活にはいっていながら、婚姻届出がなされていないぱあい、どういうことになるかについては、次において述べることにします。

初夜について

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今日おこなわれている結婚の風習のなかに、結婚式のあった日の夜を、新郎新婦がはじめて性関係にはいるときにあて、それを初夜とよんでいるものがあります。
初夜の風習は、ひじょうに古くからあり、ところによっては、初夜権といって、政治的・宗教的権力者が新婦と初夜をともにすることなどがおこなわれていたこともありました。
そのことからも想像されるように、かつて、初夜の風習は結婚の儀式における重要な行事としておこなわれたものであったのです。
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現代の結婚が、そのような儀式をともなわぬものとなっていることは、ここで、ことわるまでもありません。
ということは、今日、一般に考えられているような初夜の風習について、改めて考えなおす必要があることを意味します。
初夜の行為を、物理的に表現すれば、陰茎をもって処女膜を貫通する行為ということになります。
そのときに、処女膜の裂開にともなう出血がみられ、その出血によって新婦の処女が証明される、とされてきたわけです。
処女の価値が高く評価されていた時代には、血に染まった夜具の敷布が、神聖なものとしてあつかわれたくらいです。
処女の価値はともかく、血の神秘性を認めない現代において、かつてのような初夜の儀式は、むしろ時代錯誤でしかないといえましょう。
今日の性科学的知識と、それにもとづく初交についての考え方は、いわゆる初夜の風習を非科学的なものとみなしているのです。
もともと、初夜についての概念は、女性蔑視の思想からでたものであり、初夜にみられる出血は、無きずの女を所有しえた男性の誇りを証(あか) しするものでしかなかった、という意味でも、男女平等を原則とする現代社会に存続しうるものではないはずなのです。
初夜の作法についてはもちろん、そもそも性に関して何のみちびきも与えられていない男女が、むしろあやまった知識にもとづいておこなわなければならない初交を、初夜の風習にまかせておくことによって生ずる障害は、けっして見のがすことができないほど大きいといえます。
あるいは、処女であるにもかかわらず、すでに処女膜が裂開してしまっているとか、はじめからほとんど処女膜が存在していなかったとかのために、初夜において出血がみられず、新郎も新婦もともに心理的に大きいショックをうける、といったこともあるでしょう。
あるいは、逆に、処女脱が厚いために貫通行為によって疹痂をともなうとか、ついに貫通しえなかったとかのために、双方ともに同様のショックにうちのめされる、といったこともありえましょう。
新郎新婦のうけるこうしたショックは、また、その後の夫婦生活における、妻の冷感症、夫のインポテンツの原因となるかなりの可能性をもっています。
一般的にいって、結塒式直後における緊張感と心身の疲労をともなう初夜の風習は、夫婦の性生活への第一歩として好ましくないものであるということが、以上の例からも十分に推測されるはずです。
とくに、結婚によってはじめて床を共にした男女が、初夜の知識が多少ともあればあったで、全くなければなかったで、いずれのばあいにも予想外の事態に直面してショックを感じることは、必然的におこることであるといってよいでしょう。
まして、それが新婚旅行の旅先であれば、不安は増大するだけであり、楽しかるべき旅行さえ心から楽しむことができないはめにおちいってしまわないともかぎりません。
結論をいえば、とくに新婚旅行先でおこなう初夜の風習は、やめるようにしなければならない、ということになります。
新婚旅行にゆかないばあいも、紬婚式当日を初夜にあてるのはさけたほうがよい。
その夜は、ぐっすり眠って、一日も早く心身の疲労を回復することを考えたほうがよい。
そして、二人が新しい生活になれてきたころ、相談づくで初夜をともにするのが理想的でしょう。
さらに現代的な男女なら、ともに了解し合ったうえで、結婚前または結婚後に、医師のもとで処女膜の裂開をすませるようにするでしょう。初交のときに不必要なショックを受けないためにも、衛生的観点からいっても、この方法がもっとも賢明であることは、ほとんど疑いの余地はありません。
処女膜を陰茎をもって貫通することや、出血に神聖さをみいだすのは、もはやあまりにも大時代的な感覚でしかないといわなければなりません。

新婚旅行

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新婚旅行の風習が、ヨーロッパからの伝来であることはいうまでもありませんが、それがまるで結婚式にかならず付随するもののようにおもわれるようになっていることは、おどろくほどです。
新婚旅行は、ふつう結僻式・披露などが終わってすぐ出発するものとなっていて、結鯖記念の思い出とするためとか、結婚式前後のわずらわしさからのがれるため、慰労のため、初夜を二人だけですごすため等々といった、いろいろな意味が付与されています。いずれにしても新婚旅行は、現代の結婚においてなんら本質的なものでないことを、ここで明確にしておくべきでしょう。
とくに、今日、新婚旅行と初夜を結びつけて考えているむきが多いことをおもえば、そうした意味をもつ新婚旅行は、後述するように、むしろ好ましくないとさえいえるかもしれません。
初夜の問題さえなければ、新婿旅行はそれなりに、記念としての意味や慰労の意味で、長所をもっていることも否定できません。
ただ、たいせつなことは、旅行が、新婚旅行にふさわしいものでなければならない、ということです。
たとえば、さいきん、新婚旅行がますます豪著なものとなる傾向があり、結婚に付随した旅行なのか、旅行のための結婚なのか、疑わしくなるほどの様相を呈しています。
さらにわるいことは、旅行に重点をおこうとするために、披露のほうを軽視する傾向さえ出てきていることです。
これらの傾向が、新婚旅行のほんらいの意味をとりちがえていることから生じたものであることは明らかです。
新婚旅行は新婚旅行らしく、できるだけ簡単であるほうが、結婚にとっては好ましい、ということができます。
第一、結婚式・披露・新婚旅行・初夜、というような今日ふつうになっている結婚行事は、心身ともに当事者にとっては負担が過重であるといわなければなりません。
おなじ新婚旅行をするなら、結婚にとってもっとも本質的な披露を中心において、それに付随するものとして考えるのか、より賢明でしょう。
結婚の儀式に便乗して、一生に一度のぜいたくな旅行を計画するなぞ、結婚というものに対する真剣な考慮に欠けるものとしかいえません。
主たるものは、あくまで結婚であること、そして新婚旅行は付随的なものでしかないことを忘れないようにしなければなりません。
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大旅行は、結婚生活にはいったあとで、二人が十分うちとけ合ってから計画するほうが、より楽しいものとなるのではないでしょうか。

結婚式と披露

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披露には、結婚の広告のほかにも、両者の親族による新しい親族員歓迎の意味や、親類縁者や知人による新郎新婦の新しい門出の祝賀の意味も加味されていると考えるべきでしょう。
披露が必要となるのは、こうした意味からにほかなりません。
アメリカの若い男女が、家族の同意がえられないために、ただ教会で式をあげることですましているのをまねているわけではありますまいが、さいきん、式と披露の価値をとりちがえるむきがあるようです。
現代の結婚にとって、より重要であるのは、式ではなく披露である、ということを忘れぬようにしなければなりません。
ところで、まえにもいったように結婚式をあげることが、まだ一般的な風習であることも無視するわけにはゆきません。
式が無意味であるといって、今日の風習にむりに逆らうことも賢明ではないかもしれません。
ただ、式だけを簡単にすまして、披露のほうを省く、といった逆立ちだけはさけたいものです。
また、式をあげれば、あとの披露はなるべくかんたんでよい、という考え方も感心できません。
披露宴は、たとえ豪著なものでなくても、必要な範囲のひとは、できるだけ多く招待するのがよいでしょう。
費用をなるべくかけないように、というので、招待者を少なくするのは披露の本旨をはきちがえたものでしかありません。
我用を問題にするばあい、多くは、宴席をできるだけりつばにしようと考えているからであるにちがいありません。
披濡の本旨さえはきちがえていなければ、たとえ茶菓ていどの準備であろうと、費用をそれほどかけすに必要なだけのひとを招待することも可能であり、目的にも十分かなうことになるでしょう。
夫婦間で問題が出たとき、複雑であればあるほど解決に時間が掛かります。そうならない為にも、ここで→相性が合う素敵な結婚相手を見つけましょう。
披露宴の予算に枠があるときには、招待者一人当たりの費用を先にきめておいて人数を制限するよりは、必要な人数を先にきめてから一人当たりの費用をはじき出すほうが、披露のほんとうの目的にかなうものと知るべきです。披露の豪勢さは、みえの問題でしかありません。
たとえ会費制であろうと、内容のあるほんとうの披露をこそ心掛けるべきでしょう。
披露をめぐる費用の問題は、またつぎの新婚旅行とも関連してきます。